« 個人演説会 | トップページ | クリスマスイブ »

2013年12月23日 (月)

岩国基地をめぐる裁判について

 最近出された公有水面埋立に関する地裁判決と愛宕山に関する高裁判決の問題点について考えてみる。
 いずれも、訴えの利益や処分性などの形式的要件の審理に終始し、行政行為の実態、本質に踏み込む判断がなされなかったことに、大きな疑問を感じる。
 安全安心のためと言われた沖合移設が米軍再編の受け皿にされ、住宅地の造成を目的とした愛宕山開発が突然米軍住宅に転用される。常識的は考えられない異常な行政行為であり、当然、関連法律の趣旨に反することになる。強引な手続きは、権限濫用に当たり、違法な行為である。
 「形式にとらわれず、実態で判断する」
 これが、法律の解釈、適用の大原則であるが、司法の場でこの原則が十分に活かされていない。
 行政は強大な権限を持ち、強制力を持って執行される。たとえ違法行為であっても、形式的な要件を備えている限り、有効なものとみなされ、市民の側からそれを差し止める権限はない。残された唯一の方法として裁判がある。法律の適正な執行を確保し、市民の権利・利益を救済するために、司法がより積極的な役割を果たすべきである。
 今回の判決も氷山の一角であり、多数のこうした事例があるはず。
 制度的に不備があるとすれば、より市民の側に立った訴訟制度のあり方を考える必要がある。
 即ち、行政処分だけでなく行政の行為全般にわたって、影響を受ける幅広い市民が、その法適合性について直接裁判所に訴えることができる仕組みを作るべきである。

人気ブログランキングへ

|

« 個人演説会 | トップページ | クリスマスイブ »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/530823/58809307

この記事へのトラックバック一覧です: 岩国基地をめぐる裁判について:

« 個人演説会 | トップページ | クリスマスイブ »