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2011年1月31日 (月)

和木へ

 広島県との境にある和木町に出掛けた。
 人口6千人のまちに、三井化学や新日本石油などの大工場があり、豊かな町として昔から有名である。
 しかし、経済情勢は大きく変わり、立ち並ぶ社宅も多くは住人がいないという淋しい状況になっている。
 我々にとっては、馴染みの薄い地域であり、本格的な政治活動を行うのも初めてである。
 「井原すがこ講演会です」と言っても、反応がストレートに返ってこない場合も多い。その中でも、「女性だ

から」「無所属だから」ということで、熱心に応援していただける方も。
 新しくできた和木駅の前で街頭演説

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経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

新機軸という言葉がある
ひとつの視点にとらわれるなかれ
「経済成長の波に立ち遅れ淋しい町」なら「ここから新しいものをスタート出来るかも知れない」
と成って欲しいものだと我に問いかける
我が分かるのは経済成長自体過去のものであろう

法隆寺の『夢殿』の救世観音をまた目にしたいと思い
それを前に瞑想していた
あのこうごうしさにははっとする
しかし今回は別な感覚 マイナス思考の感覚が現れた

つまりこうだ
我々には解決困難な問題が多大にある
観音の願いは『一切衆生を救う』ことだと言う。勿論私もそれを信じる。
だがこの言葉自体、多くの謎が含まれていることに気づいた。
一切衆生とは生きとし生きるもの全て
生きるとは存在するに近いもの
ということは言葉では知っているが、具体的に何?すっかり分からない。
また、救うという意味も一切衆生を平等に救う事が出来るか
全く分からない
救うという意味が私達が日常イメージしている事とかけ離れていそうだとは薄々感づいては居る

ざぁ~とこう考えると、「そもそも観音なるものは人間が解決不可能な事を棚上げし、一時的迷いを払拭するために作り上げた創造物ではないか」と思ってしまう。
あっそうです
お釈迦様を公然と批判しちゃいましたね
(^_^;)

しかしそうであるかそうでないかは誰も分かりませんし、証明出来ないでしょう
しかしである
現在人間社会が多大な問題を抱えているのは事実である
また、観音様が実際力を持っていたとして、「あ~君達どいてどいて、私が全て解決するわさぁ」と仰るだろうか?
私は否であろうと考え、全く逆だろうと考える
つまり、多くの人間の解決したいと思う念に力を与えるだけではないか!
つまり、何の念なきところには何の解決も与えられない

思いつくまま筆を走らせた
まぁ このくらいで止めておこう
また迷走してしまう

投稿: ピース | 2011年2月 3日 (木) 06時04分

あ~それでまた奇怪な経験を記しておいた方が私の迷走が若干理解出来るだろう

いや~また紙面を汚してしまいますがご勘弁を

法隆寺の『夢殿』の救世観音を前に瞑想する前に奈良の大仏様で瞑想していた
するとどうだ!
「わたしは一切衆生を救う」と声がした
いや、幻聴ではないって
まぁ幻聴とは「ある明確な対象物の振動により聴覚が感じ取った機構以外のもの」と定義付けるなら幻聴であろう

そんで飯食べてないから飯を食べて『夢殿』の救世観音をじっと拝んだのであった

おしまい

投稿: ピース | 2011年2月 3日 (木) 06時27分

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