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2011年1月 1日 (土)

新年にあたって

 新年明けましておめでとうございます。

 皆さんは、新しい年をどのように迎えられたでしょうか。
 私たち夫婦は、まず「愛宕山見守りの集い」に参加しました。
 寒風吹きすさぶ中、大勢の人が集まり、挨拶を交わしながら子供や孫たちのために愛宕山を守るという思いを

新たにしました。
 熱い「ぜんざい」と伝統ある岩国の「お茶がゆ」を用意していただいた地元の皆さんの温かい気持ちがうれし

い。
 初詣は、近くの愛宕神社でした。
 

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コメント

ふむ
やはり今年は愛宕山から始めなければ成りませぬ ですなぁ

米軍 嫌い

投稿: ピース | 2011年1月 2日 (日) 05時21分

新年にあたって深夜に教育テレビでハーバードのサンデル教授の授業が公開されていた
見てしまった
結局その間は仕事の手を止める機会が多く、余り眠れていない
今夜もあり、困ったものである

これを言いたいわけではない
私は何度ビデオに撮ろうか迷っただろう

しかし撮らなかった
撮ってしまうと安心が発生し、頭さえも入らないのではないかと恐れたからだ

なかなか面白い哲学であり、心に刻む価値はあるものである

投稿: ピース | 2011年1月 2日 (日) 14時33分

もうすぐ始まる精神修行
今からイメージしてみよう
山堂にひとり座禅する我 六時間
つまり同じことである

気付きだしてることがある
哲学は言葉ではない
何かは分からない
哲学者ではないしね

ハーバードの学生は授業として予習もかなりやっている
その授業風景を見てもそんなに身に付くわけがない

しかしである
人間はその時空間を生きている

ならやるしかない
イメージするのだ
僧侶のつもりになって、まともに聞いたらスーハー穴だらけの知識になるだけ
一度聞いていて、経験はしている
ある程度は頭に入っている

昨日は奇襲を食らってこっちは対策とれなかった

六時間
したことない護摩行をするつもりで望もう

怖いのは独りということ
鼻糞ほじくって聞いていても自由である
言い過ぎだが似たような感覚は昨日はあった

言葉を聞くのではなく、言葉からイメージする何かを飲み込むのだ

投稿: ピース | 2011年1月 2日 (日) 21時33分

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