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2011年1月 2日 (日)

年頭にあたってー政治の変革ー

 政権交代によって政治は確かに動いた。しかし、それは見せかけの変化に過ぎなかったのかもしれない。
 それは、その担い手たる政治家や政党が本物とは言えないからである。
 
 外交といえばアメリカ一辺倒、選挙対策で公共事業やお金をばらまき不足は借金で賄う。いつの間にか借金大国に。無駄は放置したまま、福祉は切り捨てられ、消費税の増税となり市民、国民に負担を押し付けようとする。政策の善し悪しの問題ではなく、今求められているのは、政治の手法の根本的変革である。
 そして、その担い手は、まさに市民、国民でなければならない。
 国民が主体となって、新しい政治勢力を作り、そこを母体にして、政治家を育て当選させる、そして、国民の意思が政治を作り動かすようになって初めて、まったく別の視点でこうした難題を解決することができる。

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経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

除夜の鐘と同じですな
簡単には辿り着けないでしょうが
現代の命題はそこに有ります

投稿: ピース | 2011年1月 3日 (月) 03時52分

苦行になりかけたら無理をしない事だ
私はまだ死ねない
何故ならまだ自身の志が曖昧に漠然とあるだけだ
ひとまずこの雲を掴まなければいけない

さて、私は前の投稿で『除夜の鐘』という言葉をある目的をイメージして使った。単なる修飾語ではない。しかし、それを説明する義務はあるかや!
それは時空間が決める
その目的を論じ合うか、コミュニらいずされる時空間が現れたとき明かせばよい

これはあくまで目的にフォーカスを当てた場合で、
『除夜の鐘』に何のイメージを持たずとも、何かしらのイメージを持ったとしても、それが自然状態で自然思考界では均衡がとれているだろう

どちらも多様な社会で生息している私達が享受している自由である

しかし、一度自然思考界から自律思考界を移動すれば、只々「いろんな考えあるから」と寛容ではいけない。

あっそうだ
「こいつが言う『除夜の鐘』の意味はなんだ」と詮索することも悪ではない。善でもないが。
刃物を突き付け、「何だ!」と私の自由を奪うまでは

多元的世界はなくならず、この多元性の中に我々は『善なる生』を具現化する義務があるだけである

あるテロスに基づき、ひとつの警鐘を鳴らそう

『草の根』の活動はしっかり根を広げなければならない
そうでなくば、多元性を利用した『善なる生』を追求出来ないものの言葉が勝だろう

科学は悪ではない
が、科学では道徳も正義も説けない
これが事実である

一部の科学者が道徳的に優れてい、テレビに出て来てアピールしても、それはあくまでもその人の資質であり、科学の資質を示しているわけではない。

難しい多元性でも正義の普遍化にチャレンジする必要性はない
『善なる生』を生きることで、他の『善なる生』と衝突するとき、その目的がどこまで一致してい、どこが相容れないか!明確に検証し、必要なら契約を結べばよい。

人は正義を無視して生きては成らない
この大命題の上で多様性を受け入れ生きねばならない

投稿: ピース | 2011年1月 3日 (月) 15時30分

人間は完璧ではない
私もそうで欠落した話題が有った

白州正子さんの言葉だ

彼女は『かくれ里』の中だったか、岐阜の山あいから新幹線開通で変わり行く街並みをながめながらこう述べた
「便利さや効率の良さを求め(過ぎ)街並みが(急速に)変わっていっている。私達はどこに行くんでしょうと漠然とした不安を抱えてしまう」
彼女は芸術家であり、彼女はその不安を『かくれ里』というあまり知られていない、力ある仏像、寺院、山寺を知らせることで、追求した。
それぞれの立場?資質?環境?如何なる言葉でも表現出来ない何か で追求すればよい。答えは自ずと現れる。

現に私という彼女の言葉により(彼女だけではないが)、何かを掴まなければという願望と目的を授かった

サンデル教授の授業は、この助けになるだろうと思いみていた。

これで二回目
充分

三回目は私がこの目的を追求する過程で、神が「ここだ」という時に形は代わるかも知れぬが、見せるであろう

私が諦めない限り

投稿: ピース | 2011年1月 3日 (月) 16時28分

俗的な話しも偶には良かろう
私の話を還元して相手の魂を打つ言葉を日夜培って欲しい

さて、昨夜の話
サンデル教授の公開授業を見ていたわけだが、(ボリュームの量が大きかったかも知れないが)音が漏れていたのだろう
某団体の近所の方々がぶつぶつ話し出していた。「この話を真似てたんだ」「違っている」とか
喚きだしたときがあり、聞き取れないので言ってやった!
「お前達が馬鹿なのは罪ではない。馬鹿だと気付かないのが罪なのだ」

私はこれは某団体全体の罪であると思っている
教育されてないというか、社会を害する細菌を育成しているというか!

確かに強制は良くないが、ここまで来ると既に人間の知性の欠片もない

第一の批判には『学びにより知性は身に付く』という基本
第二の批判には「話の展開として、ある事柄を検証するのにあらゆる視点から議論するわけで、ひとつの言葉を盗んで何を考えても自身の知性のなさを晒すだけだろう」

哀しいことではなく、恐ろしいことである

日本人の知性は此処まで墜ちているのか
この某団体は政党でもあり、宗教分離には目をつぶったとしても、この知性のない人員育成から想像出来ることは愚民政治である

恐ろしい限りである

これは突き詰めれば罪ではない。
無知なだけである。
罪より恐ろしい現実が此処にある

まぁ、私は今は自身の精神世界を突き詰める事が先決である

カボチャも持てない者が野良仕事出来ないのと同じ理屈である

が、一気に変わる特効薬はない

あの某団体にしても知性がある方も居るであろう
機構が成ってない
が、個人の自由権を尊重しているかもしれないが
だったら宗教団体になるなと言いたいが

私には関係ない事なので、これぐらいにしておこう

何が恐ろしいのか
彼等は自分達が時空間上損をしている
大損である

『善なる生』に生きるのが義務なのは当然である
誰もが個人の良心から逃れられない

早く分かれば損は止まる

が、私の問題ではないので止めておこう

意外と『賢く生きる』のは辛いものである

投稿: ピース | 2011年1月 3日 (月) 18時37分

今日の総括
実は今日は全く別な思考をしていた

例えば戦国時代にタイムスリップしたと考えてみよう
武士としてか民としてか 全く違うであろう

信長は天下布武を行い、秀吉が統一し、徳川が幕府を開いた

信長は明らかな精神異常者だ。それ故、その非人間性が強さとなった
彼の方法は効率的な占領政策である
徹底していた
人たらしである秀吉も実はその方法を習踏していた
ほとんど信長の生きていた時期に占領は行われ、後は交渉術の色合いが高かった。
城攻めをし、多くの城兵を飢え死にさせる命を与えた秀吉は、そのカルマにより朝鮮出兵を考えた
その為、徳川に天下を奪われた
史実では、実は秀頼はなかなかの器量人であったそうだ
徳川については、この逆を考えれば良い
明らかな非人間的な事はしなかった。明らかな

さて、話は飛んで民はどうだったろう
生き地獄に生きていただけ
日々死の恐怖に怯え、生き長らえる

この現実を目にしている武士の中の多くは平穏な世の中を望んでいたはずだ

だが社会システムが明確な行動を妨げてきた
しかし、人間は弱くはない
その叫びをいろいろなところに残しているだろう

歴史に学ぶのはこの点であろう

説明はとんちんかんだが、こんな思考をしながら『善なる生』を価値付ける点では普遍化ではなく、一般化出来るだろう

と夢想していた

投稿: ピース | 2011年1月 4日 (火) 01時20分

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