« 1年を振り返って | トップページ | 新年にあたって »

2010年12月31日 (金)

1年を振り返って(2)

 民主党の内部抗争が一段と激化し、年明けの臨時国会に向けて、何が起こっても不思議ではないという状況で

ある。
 振り返ってみると、先の総選挙の際、民主党は「政権交代」を叫び続けたが、選挙に勝ち政権交代するだけが

目的のように聞こえ少し違和感を感じていた。
 言うまでもなく、政権交代した後どのように国をリードするのかが一番大切なことである。
 そのためには、政党が一つにまとまっていることが最低条件である。現状をみると、残念ながら民主党はその

条件を欠いていたのかもしれない。
 混乱が続けば、期待を裏切られた国民の政治に対する不信感が強まる。
 国民とともに政治の変革を真に担い得る本物の政治勢力の誕生が待たれる。

人気ブログランキングへ

|

« 1年を振り返って | トップページ | 新年にあたって »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

今の民主党の最大の弱点は個々がバラバラに動いていること

菅さんは内堀を統一すべきである

投稿: ピース | 2011年1月 1日 (土) 01時04分

初詣を終え一抹の不安が
祈りが足りなかったと今感じた
やはり日々修行しているお坊さんには負ける
おみくじも吉
だが「凶なりとも大師の功徳によりてその身は吉を授けられ」と言う一文があり、凶に近い吉と言うことで、私の願いは半分聞き入れられている。
やはり今年も奢るな?(難しい漢字である)と書いてある
飛躍の為の試練の年とはならぬが
まぁぼちぼち精進するしかない
戦争のない世界をつくるため

まず知恵を身につけねば・・・

投稿: ピース | 2011年1月 1日 (土) 01時45分

振り返ってみると人生は面白い
四年前か 同じように初詣をし始めたのは
動機は怪奇現象から逃れるため護摩の札を貰いに行くためだ
身欲から始まった
四年目にして開眼した

また批判になるが宗教と政治を混在させ日本にわりかし多くの信者を持つ某団体の近所の信者の異常な行動と言動
彼等は性格異常者で隠れて悪事を働いている
その某団体には私は恨みを持ってい、それ自体を利用していた
つまりカルマによる某団体の消滅を狙っていたのだ
事実のカルマなので、根拠はかなりある
そういった意味で私は思考上彼等の悪事を認めていた。寄って彼等の『人間ってこんな生き物』という主張を広げる彼等の本質であるテーマを現す怪奇現象が私の周りで起こっていた。
全て復讐のためである

しかし、今目の前に広がる世界に目を向けると、ちっぼけな事ではないが、そんな事に囚われ続けて良いのだろうか?

もう脱皮する時期では!

枯れ木に唾を吐くは愚の骨頂

渡り鳥、夜空の星、太平洋の波音とそこに連なる海中のあらゆる生物

ベートーベンの『喜び』の世界に生きるのだ

憎しみ 怒り 復讐

全て去年に捨て去ろう

枯れ木に唾を吐くは
水をやること
つまり活かしている事であった

全て頭では分かり切っていた
人の悲しき性
心が孤立してしまう

さて今年の抱負

『活きる』

投稿: ピース | 2011年1月 1日 (土) 10時42分

持論・結論がなければ、議論する資格もないはずだが、相手かまわず言いがかりをつけて議論をしたがる人がいる。
折角、相手を議論で打ち負かしても、それに代わる自説を提案できないのは非建設的である。
議論では「破壊は建設なり」とは行かない。不毛の議論にしかならない。時間はいくらあっても足りない。

自説を述べればそれで万事発表は終わる。
さらに、自説に似た他説があれば、自説の優位性を述べることも有益なことである。
これは、人類の進歩につながる建設的な態度である。

考える人にならなければ、自説はできない。このような人は、とらえどころのない人と呼ばれている。
しかるに、丸暗記と受け売りの学力を使って議論をしかけようとしている。
真正でない学問をもって世俗におもねり、人気に投ずる言説をなすことを曲学阿世というが、こうした行いが横行している。
こうした行為は、あながち個人の責任には帰しがたいが、由々しい事実であることには間違いない。
イザヤ・ベンダサンは、自著の中で、我が国の評論家に関して下の段落のように述べています。

評論家といわれる人びとが、日本ほど多い国は、まずあるまい。本職評論家はもとより、大学教授から落語家まで (失礼! 落語家から大学教授までかも知れない) 、いわゆる評論的活動をしている人びとの総数を考えれば、まさに「浜の真砂」である。もちろん英米にも評論家はいる。しかし英語圏という、実に広大で多種多様の文化を包含するさまざまな読者層を対象としていることを考えるとき、日本語圏のみを対象として、これだけ多くの人が、一本のペンで二本の箸を動かすどころか、高級車まで動かしていることは、やはり非常に特異な現象であって、日本を考える場合、見逃しえない一面である。 (引用終り)

日本語には、時制というものがない。だから、未来時制もない。
自分達が努力して向かうべき理想の内容も語られることがない。いわゆる無哲学・能天気である。
未来社会の内容が明らかにならないので、われわれは未来社会の建設に着手出来ない。

日本人の世の中の把握の仕方は、現実の有様に関するものである。「世の中は、、、」の形式で表現される内容である。
現実の内容は、皆がほぼ一致する。一人から答を得たら、それで皆の答がわかる。
現実の内容は、変えられない。政治家には、政治哲学がない。
だから、日本人は閉塞感に襲われる。
英米人の世界観は、未来時制であり現実とは別次元の内容である。
これは人によって違うから、意見は一人一人聞かなくてはならない。
良い提案があれば、相互に協力して建設に励むことができる。

皆が同じ現実の内容を話すばかりでは議論はいらない。
「理屈などは、どうでもよい。現実は見ればわかる」ということになる。
議論をすれば、現実描写に関する個人的なケチの付け合いとなり喧嘩になる。
皆が仲良く生きてゆくには、問答無用で生活することである。
現実にばかり囚われては、別次元の世界が一向に見えてこない。向かうべき所に関する夢も希望もない。
それで、諦観も必要になる。

アングロ・サクソンの考え方が我々の現状の打開策となるであろう。
彼らのメンタリティを理解するために、我々には英語の勉強が必要である。
ある時、私はアフリカの学者から「日本では、何語を使って大学教育を行っているのか」と尋ねられたので、「日本の大学は、日本語を使う」としごく当然のように答えると、相手はびっくりしていた。
きっとその人は、日本語で学問ができるなどとはとても考えられなかったに違いない。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812

投稿: noga | 2011年1月 1日 (土) 23時20分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/530823/50455741

この記事へのトラックバック一覧です: 1年を振り返って(2):

« 1年を振り返って | トップページ | 新年にあたって »