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2009年10月 5日 (月)

八ッ場ダム(その2)

 政府の中止の方針に対して、地元の町長や住民たちの激しい反発の声が伝えられている。

 半世紀以上にわたって政治に翻弄され続け、地域社会は切り裂かれ、人々の生活環境もすっかり変わってしまったであろう。そこに、政権が代わり、突然建設中止の話が舞い込む。政治の都合で弄ぶのいいかげんにしてくれと地元の人が怒るのも無理からぬことである。

 前回述べたように、ダムは無駄な公共事業の典型である。公共事業の実施は、多くの場合政治の力関係によって決まり、その必要性を説明するデータは、後からつじつま合わせのために作られるものである。そして、利権の温床になる。

 そうした公共事業の象徴として政府が中止するというのも、一つの重い決断である。
 今後、ダムの本体工事やその後の維持管理に必要とされる膨大な経費、限定的なダムの効果、さらには、ダムができることによる新たな危険など、相当な科学的根拠を持って中止という政策判断をしているのであろう。

 その決断を実行に移すに際して政府のなすべきことは、まず、過去の住民の苦難に理解を示し、さらに突然方向転換し住民に大きな迷惑をかけることを、率直に謝罪すべきである。

 その上で仕切り直しをし、将来に向かって、ダムを中止しなければならない理由を丁寧に、とことん誠意を尽くして、多くの住民の理解が得られるまで説明することである。

 間違っても、マニフェストに書いてあり国民との約束だからと言って、強行し住民の想いを踏みにじってはいけない。

 「民意」を大切にすることが民主主義の大原則である。しかし「民意」とは何か。あまり利害関係のない多数の意見により、直接影響を受ける少数の意思を抑えつけることではない。政治が本当に向き合わなければならない「民意」とは、個別の政策に関して直接利害関係のある人、影響を受ける人の切実な声である。それがたとえ一人であっても、決しておろそかにしてはいけない。

 ここまで考えると、いわゆる「マニフェスト」に、個別具体的な政策や事業の方向性について明確に書き込み、国民に約束することは適当ではないだろう。なぜなら、上記のような少数者に対する配慮を欠くことになるから。
 例えば、無駄なダム、公共事業は中止も含めて見直す。その典型として八ッ場ダムについても、徹底的に経緯や問題点を検証すると言えば十分であった。
 そして、政権を取った後で、改めて十分な調査、検証を行い、もちろん住民の理解を得た上で、最終的に中止の決断をすべきである。

 中川昭一氏が、急死。心労が重なっていたのかもしれないが、命のはかなさを感じる。
 心からご冥福をお祈りする。

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コメント

無駄なダムの建設には反対です。
でも、国の政策に翻弄され、家が水の中に沈むという苦渋の決断をした住民のことを考えると、やはりきちんとした説明をしなければいけないと
思います。
その為には、当初からの計画と、これまでの経緯、財政も含めて全ての情報を開示することではないでしょうか?
そうすれば、住民も納得するでしょうし、中止に理解を示すはずです。
補償など出費も発生するでしょうけれど、決して無駄にはならないと思います。

住民と真正面から向き合う姿勢が、一番大事ではないですか?

岩国市も、市役所内部で話し合った協議録を隠さず、きちんと市民に説明してくれればいいのに・・・・・

投稿: やんば | 2009年10月 6日 (火) 22時54分

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