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2009年8月25日 (火)

政治の変化

 地元の医師の人たちとお酒を酌み交わしながら自由に懇談する場があり、時々参加する。
 今回は、雑誌「世界」9月号に掲載された山口二郎北大教授の「政権交代で何を変えるのか」を題材に、政治に関して大いに議論した。

1.自民党政治の終焉
 東西冷戦と高度経済成長という一党独裁の長期政権を支えてきた2つの条件がすでに失われているにもかかわらず、自民党政治は旧態依然。
 地域や業界への利益誘導ばかりが横行し、挙句の果ては財政破綻、そして増税へと向かう。
 有力な野党が誕生し足元が脅かされているのに、派閥などが内部抗争を続け、自らを滅ぼそうとしている。
 小泉さんの「自民党をぶっ壊す」という一時しのぎのパフォーマンスが、従来の支持母体の離反を招き、皮肉にも現実にぶっ壊れそうになっている。

2.政権担当能力
 自民党はよく民主党の政権担当能力を問題にしている。それでは政権担当能力とは何であろうか。
 経験がないので不安という意味で使われることが多いが、経験の有無とは本来関係ない。
 政党が一致してその能力を最大に使い、国民のためにその理念と政策を実施することができるかどうかである。
 自民党には、もともとその能力なし。従来は、頻繁に改造される内閣のもと、素人大臣が役所に乗っかり、官僚が実質的な政策決定を行ってきた。

 政治とは、限られた財源を、優先順位を付けて効率的に使い、理念と政策を確実に実施することである。

 全国で「地元のために頑張る」と、与野党を問わず多くのの議員が叫んでいる。これでは、何も変わり映えがしない。新幹線や道路なども、無駄なものは造らないと明確に言える政治が必要。それが政権担当能力である。

 国会議員は、国全体のために働くべきであり、地元のために働くことが仕事ではない。そうした観点から、政治家を選ぶべきである。

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コメント

艦載機容認派、愛宕山の治外法権化に賛同する人達はきっと「あの頃はよかったな・・・」と思っているのだろう。戦後、朝鮮特需から始まった補助金を湯水のごとくたかった時代が忘れられないのだろう。
米兵相手の商売が莫大な財産を産み、騒音がある限り仕事がなくならないと思っていたのだろう。
しかし、それらは時間の経過、社会情勢の変化と共に今ではたかりなしでは打開する気配すら見えない。だから基地強化拡大するしか手段がないというのが容認派の限界なのだろう。
人は昔のことを妙に美化して考える傾向があると私は考えている。自分の歩んできた道程を振り返ったとき、そこに見えるものは二度と手にすることのできない、かけがえのない日々なのだ。しかし、それらは終わったことであり、流れは決してもとに戻ることはない。気づいたら歪な、あまり必要のないハコモノが日本中溢れていた。国の財政は破綻寸前だ。
補助金のみに頼り、国民の財産をすり減らしてもまだ空港とか言っている「たかり」の姿は、私には危険な兆候のような気がしてならない。
近い将来、「わしがまだ若い頃、岩国には補助金たかりという生き方があったんじゃ」といった会話がなされていても不思議ではない!

投稿: 昔より今の方が断然いい | 2009年8月26日 (水) 22時46分

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